ワーママの罪悪感の正体と#嫌すごの書評(雑記)

ママが小さいお子さんを家族に預けて「やりたいことをやる」時に、

少なからず罪悪感ってないでしょうか?

 

 

勝手気ままにやってそうなチャコではあるのですが、

育児という意味では夫の協力は欠かせないわけで。

 

自分の予定が重ならない限り

文句も言わず預かってくれる夫には感謝しかありませんアリガトウ

 

おそらく比較的に恵まれた環境にいることは理解していますが

でも「子ども預けてこんなに出かけていていいの?」

良い母レッテルから逃れられない自分がいます。

 

何が自分を苦しめているのかというと

「自分が思う理想的な母親像と自分が乖離しているから。」

 

理想的な母親とは

子どもを優先・自分の事は後回し、

つまり

「自己犠牲をすればするほど母親としては美しい」

という母親に過度に求めすぎる

日本社会の脅迫的な価値観が根底にある事がわかります。

 

そして自分もその価値観がインストールされているようですガーン

 

 

なんか

「残業すればするほど評価される旧態然とした日本企業」

みたいで笑っちゃいますね顔

 

 

育児においても非効率であればあるほど賞賛されるような気がします。

(=手間をかければかけるほど)

 

 

誤解を恐れずに言えば一例としてはデコ弁お弁当です。

 

インスタやSNSの美しいデコ弁には賞賛の嵐。

でも、あのお弁当作るのって

ものすごく時間も手間もかけていますよね。

(もしろん「デコ弁大好き!」という方を否定するものではありません)

 

効率性だけ追求するなら

アメリカのランチボックスのように

ジップロックにピーナッツバターを塗ったサンドイッチと

野菜スティック、ポテチをイン。

 

だけどそんな事したら

「ダメ母」レッテルを貼られるのを恐れて

やる人はなかなかいないと思います。(自分含む汗2

 

 

料理や掃除ですら

いかに手をかけたか・いかにまめにしているのか

という所の価値の重きが置かれています

 

専業主婦としてその道に励まれている方は

もちろん尊敬しているのですが、、、

 

現在を生きる兼業主婦には圧倒的に時間が足りません

 

なおさら自分のやりたい事が沢山あると

自分のキャパシティや効率性を追及し、

また不必要なものはなるべく切り捨てたくなります

 

最近読んだ小田桐あさぎさんの本

「嫌なこと全部やめたらすごかった」には

まさに作業や考え方においても不要な事をやめる事を推奨されています

↓↓↓

 

自分の「理想の母」という価値観の再インストールは難しいですが、

まずは嫌なことををやめる、という作業レベルに落とすことによって

価値観も書き換えられるのではないかと思っています

 

 

 

またいつも何かに追われているワーママとしては

「足りるを知る」

というマインドも重要だと思っています。

 

足りないものに目を向けてもっともっと、

と頑張るのではなく

自分が出来ている事に目を向けてあげる

 

自分を満たすことが出来れば

罪悪感もなくなるのではないでしょうか。

 

#まずは自分で実験してみる!

 

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